肌に浸透する化粧水

愛が溢れる

自分の自担論について考えてみた(答えは結局模索中?)

これまで、あまり「担当」という言葉を

積極的に使った事がなかった。

…ということで、改めて考えてみることにした。「私の担当論とは一体何なのか?」

(※「担当論」を調べていくうちに自分のことを考え出して、唐突に書き出したブログなので、お見苦しい点も多々あると思いますが、よろしくお願いします。)

 

 

 

神山さんの事が気になりだしたのは一昨年の12月。(参照︰(ジャニーズWEST)に目を向けたきっかけ - 貴方を好きになれて私は幸せやね) しかも、神山さんが舞台期間中で少クラにいない時にジャニーズWESTが気になりだし、調べ始めたのがきっかけ。 バーっと調べていくうちに何故か「神山智洋」にスポットライトがあたり、私の中で何かが変わった気がした。

 

 

 

元々、スマオタの時からいわゆる箱推しだったので、ジャニストさんが好きになった今でも箱推しは続いているようで。(私自身を観察してみるとそういう結果になった) 「箱推しが悪い!!」みたいなことを言われることも少なからずあるが、これは辞められないので仕方が無いと思っている。

 

 

 

さて、冒頭にも書いたが、私は「担当」という言葉をあまり使わない。それは、この言葉が少し重いと感じているからだと思う。(※今回は「担当論」についてのブログなのでたくさん使ってます)ファンと担当の違いについて書いてあったブログを読んだ。私もいろいろ思うことはあるが、神山さんが担当になったと感じたのは歌声を聴いた時だと実感している。 「この歌声を応援したい」と切実に思ってしまったのである。では、容姿は見なかったのか?という疑問に移るが、結局は…担当というものは全てが込みで好きになる、いや、尊敬するものではないかと私は考えた。

 

 

同じ担当の方とお話した時に「神山さんは神の域に入るものだ」と言っていた自分がいた。好きというよりも尊敬の念が強いとも。

神の域って結局は何処なんだろう。手に届かないってことか…?と後で考えてみたけども、さっぱり分からなくなってしまった。 

 

 

…とここまで書いて、自分でも少し分からなくなってきているので、ひとまず私の「自担論」を出しておきますが、これが自分の正解なのかも分からないので、また書き直しに来るかもしれませんが…ひとまずはこれで。

 

 


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担当とは尊敬する人に当たるものであり、その人の素敵な所だけではなく、自分自身が嫌だと思うことも全てを包み込んで応援したいと思える人。その人を応援することで自分自身が幸せだと思える。

 

 

では、この辺で失礼します。

ジャニストを箱推しする神山さん担当のルマンがお伝えしました。

 

 

 

ルマン